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delain againと架空要素的な日本の映画が好きと信念の人という雑感のまとめ [映画みましょ]

いやいやいや、やっと夏休みですよ^^
5日だけだけど。

今週は月、火の2日だけ出勤でしたが、この2日間がまあ疲れる疲れる。
水曜日から休みとわかっているのが却って疲れを誘うし、職場でパソコンが更新になってWIndowsが7、Wordが2010(だったか?2011かな?)と化してこれまでとの操作感の違いにイライラが誘われ、目の下にクマができて、うちの奥さんに目の下に塗るの貸したろか?と言われ、電車に乗ると、私服というか休み服のオッサンがたくさん乗ってて、もはや制服と化した背広を着てるときと違ってその人の性格が良くわかるなあ、特に奥さん連れているときは奥さんの服装で、と感心し、昼休みに「ちくわパン」をおいしそうに食べてる信頼できる同僚がいて、ちくわが好きな自分は猛烈に「ちくわパン」が食べたくなった2日間でした。

で、夏休みの間に雑感集。


3個前の記事で書いたDelainへのはまりから脱却できず、You Tubeでいろいろ動画をあさったりする。
今は、Start Swimmingという曲のアコースティック版が好きだ(↓)




あー、オランダ行きたい。
ついでにフェルメールとゴッホを見たい。
しかし、ボーカルのCharlotte Wesselsは、メークしてないときの方が美人なんじゃ?(とかいうと、女の人は、男の人は大体そう言う、とか突っ込んできそうだけど、男女で美人の基準が全然違うからしゃあないやん。女性の言う美人は、大方、男性から見て美人ではない)




ここには、たまに、ぼっとん便所の鼻紙にもならないようなクズな映画の感想を書いているが(「クズ」は「映画」ではなく「感想」に係る)、それ以外にも、映画館やビデオで見たりしている映画がある。これらを見たときの自分の気持ちを考えると、どうやら最近は、少し架空の要素が入り交じった日本の映画が好きなようだ。
洋画は、一部を除き、どうも自分と感覚が合わなくなっているらしい。

最近見たこのような邦画は、「パーマネント野ばら」「かもめ食堂」「食堂かたつむり」「めがね」「スープオペラ」で、それぞれ、結構面白く見れた。

※今さらだけど、以下、ネタバレあります※




パーマネント野ばらは、あのサイバラ特有の雰囲気の原作をよくここまで作り込んだなあという素晴らしい出来で、映像もとても美しく(電柱切り倒すときのスパークなんか、あまりの美しさに見とれてしまった)、最後の、まさにこの映画の核心に触れるシーンでは、えええっ!っとただ絶句。
菅野美穂はなにより小池栄子の素晴らしさがよくわかる、とても良い映画でした。10点。

かもめ食堂では、もう公開から5年もたったのか、という過ぎる日々の早さが実感。
面白かったんだけど、パーマネント野ばらの感想を書いてるうちに何が面白かったのか忘れてしまった...でも見たときの感覚から言うと、8〜9点。

めがねは、かもめ食堂よりは話がイマイチだったけれど、大好きな市川実日子が出ているので8点(感想を書くのが少し面倒くさくなってきた...)

食堂かたつむりは、オープニングに引きまくったものの、途中から話が面白くなり出し(最初は、どうなるかと思った...)、終わり方も自分は納得。
エンディングの「鳩を食べる」という行為は、エンディングに至るまでの鳩の登場の仕方を考えても、明らかに比喩かと。

スープオペラは、あれ、何だっけ?
坂井真紀がうちの文鳥にそっくりだと思ったんだった。
ああ、そうそう、セリフが結構よく出来てて面白かったんや。そして、何よりトニーがとても格好いい。

ん?映画が架空の要素を含むの当たり前じゃないか...

まあ、いいや




8月15日、仕事でアミド結合について調べていると、自然とWikipediaのナイロンの項目に移動、そして、そのままなんとなくナイロンザイル事件の項目を開いた。

この項目を読み始めてびっくり、一人、どうしようもない酷い人間がそこにいた。

そして、もう一人、信念の人(石岡繁雄氏)がいた。
この信念の人の命日がちょうど5年前の8月15日ということで、何やら複雑な気分となった。
(この事件のことは知らなかった)


話が飛躍するが、大学教授なんて、全くもって普通の人と同じく、良いか悪いかなんてその人次第である。
誠実な人もいれば、嘘つきもいる。
合理的な人もいれば、主観的な思い込みが激しい人もいる。
最初は研究熱心でも、年をとると研究ではなく学内の政治活動にのめりこんじゃうなんてよく聞く話である。
本人は最先端の研究してるつもりでも、実は企業でずいぶん前にやってた(単にいちいち学会や論文に発表しないだけ)なんていうこともしばしば耳にする。

しかし、世間は大学教授というカテゴリーに一定の重きを置き、その発言を信頼する。
特に、昔は今よりもそれが顕著だったろう。
その時代に発言を否定し、正しい信念を貫くということは、とても厳しくつらいことだったかと思う。

ただただ敬服するばかりだ。
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